娘を妊娠していた時の記録も、転記して残したいと思います。
産み終わるまで終わらなかった重症悪阻に振り回されたマタニティ期間でしたが、もう一つの命が自分の体内に宿っている時間は何にも代え難い貴重な経験だったなぁと今振り返っても思います。自分の身体で、人間の神秘というものを感じることができました。
この記事は「妊娠初期」の記録です。中期、後期も別の記事で記録しています。
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初めての妊娠の記録
28歳で結婚し、待ち望んでいた妊娠が判明。29歳の誕生日は悪阻のピーク(入院前)で、本当にベッド上が嘔吐物まみれだった記憶しかありません‥。29歳6ヶ月で長女を出産しました。
妊娠初期
【4w0d】前日に早期妊娠検査薬陽性反応。高温期14日目。生理痛のような下腹部痛。
【5w0d】夫と京都まで温泉旅行へ。まだ妊娠が信じられない感じ。
【5w2d】無事に12.0mmの胎嚢確認。筋腫がたくさんあると告げられる。
【5w3d】つわりが始まった。えずく、後味が変‥。
【5w5d】母子手帳交付。気持ち悪くて仕事も早退。
【6w2d】悪阻が辛い。仕事も早退ばかり。食べられるものは、そうめん・パン・ゼリー・かむかむレモン
【6w5d】無事に心拍確認、重低音に感動!6.6mm。当たり年で補助が出るとのことでHPV検査もしてもらった。あまりにも酷いつわりに「重症妊娠悪阻」の診断書が出た。子宮筋腫合併妊娠のため総合病院での出産を勧められる。仕事は休職させてもらう。
【7w1d】朝自宅で倒れる。貧血か?胎児が心配で1人で大泣き。
【7w5d】点滴通院だけでぐったり。嘔吐しまくりでまだ7週という現実に絶望。現在体重−4キロ。
【8w2d】身体が起こせない私を夫が点滴するため病院へ連行してくれる。先生には入院も視野に入れるようにと言われる。「もう頑張れない・・助けて・・・!!!!」
【8w5d】炭酸水で少し紛らわせている。三ツ矢サイダー様様。
【9w3d】29歳誕生日。死ぬ寸前かと思うくらいの日々。シーバンドやB6サプリ等何も効果なし。(吐き通していて記録ができていない)
【10w0d】(吐き通していて記録ができていない)
入院【10w2d】極度の脱水症状とケトン体4+により入院。体重は−8.6キロ。24時間点滴生活スタート。
入院中【11w0d】吐き気止めの点滴をしていてもずっと気持ち悪い日々。いつまで続くのかな。
入院中【11w1d】吐き気止めを点滴から内服薬へ切り替え。
退院【11w4d】退院。家に帰ってからもなるべく入院時と変わらない生活を心がけよう。どうか吐き気が収まりますように。
【12w0d】退院して3日。何とか吐かずにえずく程度で来れている。ピークは超えたと信じたい。
【12w5d】吐かずにいられたのは3日。以降嘔吐が続き、ついに点滴してもらいに外来へ。次回の診察には入院準備持ってくるようにとのこと。
再入院【12w6d】親に連行され緊急入院(2回目)またしてもケトン体+。
再入院中【13w0d】とても気持ち悪いのが続いている。おっぱいがチクチクする。
再入院中【13w1d】赤ちゃん向こうを向いてしまっていたけど、脳や背骨も見えてエコーに感動。11.8センチ。
妊娠初期を振り返って
ずーっと気持ち悪くて、思い描いていたマタニティライフとは全然違って、泣いてばかりだった日々。
振り返ると、やっぱり初期が本当にもう壮絶で(記憶が飛んでいるところもありますが)あの何をしててもどうしようもなくキツくてこのままもう死ぬんじゃないか、と本気で思ったあの感じは‥一生忘れないと思う。
安定期に入るまで、いや入ってからも、体調は全然安定せずまともな食事も取れなくて「赤ちゃんは無事なのか」が心配で心配で。
万が一、今、赤ちゃんがお空に帰ってしまったら‥絶対にもう無理だ、こんな辛いの2度と耐えられない。この子が帰ってしまったら、私はもう2度と母にはなれない。本気で辛くてそう思ったので、とにかく必死でした。無事に育ってくれることを祈り続けるしかなかった。
ずっとしんどかったけど、今振り返ると終わらなかったつわりもピークは初期だった。嘔吐頻度も多く、何をしていても生きることが辛くて本当によく泣いていました。
妊娠中期に続きます。